あべひげレポート 〜人生の先輩に聞く20歳のころ〜 第一部

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主な聴取対象者:阿部立男(あべ りつお)居酒屋「あべひげ」店主
聴取日:2000年5月14日 於 「あべひげ」店内 (17:30〜 )
早川弘治

I. はじめに

1. 聴取対象者の紹介

阿部 立男
 1952年宮城県生まれ。現在青葉区春日町において居酒屋「あべひげ」を経営。 その傍ら、演劇、舞踏を主催する「南斗六星」の代表でもある。妻と二人の娘 と暮らす。

2. 聴取対象者の選択理由

 もう一人の聴取者である私の父は、二十歳のころ60年代の後半を生きた。ここ数年の文 化を見ると70年への回帰を感じる。そこで我々の親の世代は、当時何を感じ、それを我々 がどう受け継いでいるのかの一端が垣間見られたらと思い、まさに70年代を生きた阿部立 男氏にインタビューを依頼した。私の父は、東京で大学生活を送っていたために、社会的 な出来事として学生運動を挙げていたのだが、学生とはまた違う角度から70年を見るとい ったいどのような姿が浮かび上がるのかということを大枠の関心として聴取対象を選んだ。

II. 調査項目

 実際に聞き取りを行う前に以下のような質問事項を渡しておいた。
  1. 二十歳代、つまり70年代の時代的影響とはいかなるものだったか。
    • 影響を受けた人物、社会的出来事(大学紛争、ベトナム戦争など)
    • 戦後家族としての意識など。
  2. 印象に残る、自分自身の転機となる個人的出来事を一つ挙げるとしたら…。
  3. 独立していきるきっかけ、家族からの自立を意識したきっかけは…。
  4. 現在の職業に行き着くきっかけは…。
  5. 二十歳前後に抱いていた自分自身の将来像と現在の自分の違い。
    • 二十歳の自分に今こう言いたい。
  6. 現在の二十歳前後の人たちにいいたいこと。
  7. 二十歳に戻れるとしたら何をする?
この質問事項に加え、当日は用意した質問に沿ってインタビューを進めた。
しかし実際は事前に用意した質問シートの効果が有り、先に提示した項目にしたがって話 を進めて頂いた。

III. 聴取内容

「青年は荒野をめざす」

Key Word: ベトナム戦争 沖縄返還 五木寛之 アメリカ永住

 「やっぱりベトナム戦争の影響が俺のなかでは大きかったなぁ。」
この一言から今回のインタビューは始まった。まず最初の質問として、影響を受けた社会 的出来事、を取り上げ出てきた答えだ。1952年、昭和27年生まれ、阿部氏はまさに70年 代を生きてきた人物だ。日米安保が調印され、その流れで起こったベトナム戦争は当時の 若者たちに直接の影響を与えた。ベトナム戦争が始まり当時高校を卒業したばかりの阿部 氏は、自分たちが戦争に巻き込まれるんじゃないかという危惧を抱き、何も出来ない状態 で20歳を迎えることに対しある種の不安を抱いていたようである。

阿部: 「安保が制定されるのなんかをテレビでやってるのを見て、俺は何も出来なかったん だ。高校生だったし。」
早川: 「一体何やってんだって感じ?」
阿部: 「そうだな、アメリカ文化なんかも入ってきてたんだけど…、何だろうな…、安保が あって、戦争に巻き込まれるんじゃないかって心配だったなぁ。そんで自分が何も 出来ずに20歳を迎えちまうって思ったんだ。何か問題意識を持たなきゃなんない だろうって自分の中で思ったんだ。そう思ったとき自分の周りの闘争、事故、行為 って言うと、沖縄返還だったんだなぁ。俺が20歳のときなんで沖縄があんなんな ったんだって知りたくて、じゃあ沖縄にいってみっかって思ったんだ。」

 ベトナム戦争によってつけられた火は、沖縄返還という事実に引火した。阿部氏はまさに 20歳のとき一番の思い出がこの沖縄旅行だったという。返還前に海を渡り、米軍の車をヒ ッチハイクし、ユースホステルや町の公民館を宿にした。行けば何とかなるだろうという 想いを胸にまず行動した。そして沖縄でであったものは、沖縄の人々の生活が豊かである という事実だった。豊かさとは、物資の豊かさ、物価の安さ、特に食料の安さを示してい る。 このように、20歳のとき最大の出来事は沖縄返還にまつわる沖縄旅行であり、直に現 地に行ったという経験であった。

 では当時、普段の生活は何をしていたかというと、高校を卒業した後、横浜などを転々と しながら、20歳のときにおじが経営する鉄工所で手伝いをしていたということだ。出身は 宮城県の女川地方の小さな村で、次男として生まれ、早くから家を離れたいという希望は あったようだ。

 沖縄を経て、次に阿部氏の心を捉えたものは、本であった。特に大きな影響を受けたのは 五木寛之であったそうだ。当時の学生たちは、浅間山荘事件や三島由紀夫の割腹自殺に大 きな衝撃を受けていたようだが、阿部氏はそういった事件には全く何も思わなかったらし い。むしろ五木寛之などが執筆していた種々の雑誌を講読しては強い影響を受けていたよ うだ。「1日2〜3冊は読んだ」というように当時の労力の大半を注ぎ込んだ事実が伺える。 五木寛之との出会いはおじにもらった本であり、最初に読んだものに関心を持ちそれ以後 彼に関するものを読みつづけた。それまでの主流は、ロマンティックな内容のものが多く、 そういた物語に共感を抱けなかった阿部氏は、五木寛之などの直接的な表現、『青年は荒野 をめざす』に代表されるような、現実に直面した人間の喜怒哀楽の表現に今まで見たこと のないような驚きを感じたと振り返る。もう一つ五木寛之が与えた大きな影響は、彼の知 識の広さによるものだった。そのなかでも、作品中に出てくる様々な芸術作品に阿部氏は 興味を持った。「じゃあ一体どんなものだか観てみよう」といって絵画などを直接観に行き もした。そして次第にその影響は大きくなり文章という表現よりも、絵画という表現が阿 部氏の心の中に大きくなっていった。阿部氏が美術に求めたのはメッセージの完全性。「20 歳のころはそういうのを求めていたんだなぁ」と振り返る。

 五木寛之から受けた影響とは別種の流れがもう一つある。それは、阿部氏のアメリカに馳 せる思いである。「アメリカに行こう、行こうとずっと思ってた」というように、とにかく アメリカに移住しヒッピー的な生活がしたいという希望で渦巻いていたのが20代前半のこ とだったらしい。当時、同じ職場にアメリカでヒッピーをやっているという日本人がいた らしく、その人の話を聞きながら、「アメリカって楽なんだなぁ。やりたいことが自由に出 来る」と思ったらしい。そして当時の結論として「アメリカ永住」が沸き上がる。 ベトナム戦争を契機とし、アメリカの政治的な体制には大きな不満を抱きつつも、アメリ カ文化、人々の生活にはある種の憧れを抱いていた。根底に存在する欲望は「自分の知ら ない、自分を知らない土地」に対するものだったようである。生まれが小さなコミュニテ ィであったことも影響してか、当時抱いていたしがらみを解き放ちたいという希望が強か ったようである。

 ベトナム戦争、沖縄返還に喚起された青年は、様々な文学を通じて影響、感銘を受け、そ ういった文脈の中で、次第にアメリカ永住の夢を見た。まさに「荒野をめざす」。

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